Perfoming Arts Critics 2013

若手の書き手によるレビューブログです。2013年11月から12月に上演される舞台芸術作品についての批評を中心に掲載していきます。

第三の悲劇について

 「インドネシアから来た劇団です」――11月9日、シアタースタジオ・インドネシア『オーバードーズ:サイコ・カタストロフィー』開演前、池袋西口公園でフライヤーを配る者たちはしきりにそのフレーズを繰り返していた。インドネシアから来た――その情報を私は、フェスティバル/トーキョーのウェブサイトから既に得ていた。「1883年のクラカタウ山の大噴火と津波災害を題材にした新作」「畏れや祈りの感情をも引き出すこの劇場空間は、人間本来の生き方、身体のあり方を再考する場ともなるはずだ」……そんな言葉たちと共に。

 池袋という都市の中に現れた巨大な竹の建造物。合掌の形で組まれ、上からはちょうど人が五人上に乗れる程の丸太が吊り下げられていて、祭壇らしき足場に向かって大きな銅鑼が吊り下げられている。少し目を逸らせば東京芸術劇場、高層ビルと消費者金融や学習塾や飲食店の看板の光がある中で、竹の壁に囲まれた空間は異様だ。そこでは、緊急車両の音や店から漏れ出る音楽や街を行く人々のざわめきに囲まれながら、動物の鳴き声や竹を叩く音といった原始的な異音が鳴り響く。

 寒空の下、パフォーマンスが始まると、現れるのは日に焼けた肌、上半身裸の原始的な恰好をした男たちと、白い服を身につけ舞台を叩いて音を鳴らす呪術師らしき男である。上半身裸の男たちは肉体の力のみで、命綱もなく竹の建造物を登っていく。

 白い服の男は銅鑼を擦ったり叩いたりすることで異音を出しつつ、何度かおそらくインドネシア語を発したが、インドネシア語をまったく解さない私には、言語であったと確信をもって言うことはできない。しかしそれはおそらく自然の脅威を前にした者の祈りであった。上半身裸の男たちは竹の建造物を登ったり、ぶら下がってみたり、上から下げられた丸太を舟に見たてて漕いでみたり、それを回転させたり、杭を突き刺したり、竹を打ち付け音を鳴らしたりした。巨大な丸太に翻弄されているように見える時もあり、それを操っているように見える時もあり、災害を前にした人間の小ささとそれを乗り越える人間の強さを見たように思った。その間、白い服の男は民の苦しみを引き受けたかのごとく身体をくねらせていた。どれもがいかにも儀式的で、隠喩的で、意味ありげな動きであった。そして、パフォーマンスの終わりに上裸の男たちによって観客たちに配られた匂いの強い粉。あの粉を私は、理解できなかった。

 理解できなかった――まがりなりにも批評を書こうという者の言葉としてあまりに情けないが、しかし私は、理解できなかった、そのことからこの芝居を考えてみたい。そこから見えてくることはこのパフォーマンスの小さな一面に過ぎぬのかもしれないが、しかし私には無視できない一面である。

 インドネシアから来たシアタースタジオ・インドネシア、彼らが東京の中心でやっていたことは、少なくとも私の持つインドネシアのイメージ――常夏、ジャングルと青い海と砂浜、自然の中で暮らし続ける多様な民族――をあまりにも裏切らなかった。そのことに不気味さを感じた。私にとって、いや、インドネシア語話者や関わりの深い人間を除けば多くの観客にとって、インドネシアとは「他者」であるはずだ。それなのになぜ、「インドネシアっぽい」などと思ってしまうのか? 彼ら(どこまでを「彼ら」と呼んでいいのかわからないが)がインドネシアを強調する背景には、あるいは政治的経済的な意図があるのかもしれない(協賛企業にインドネシアの航空会社があり、開演前にインドネシア観光の広告を配っていた)。しかし、彼らのパフォーマンスには「インドネシア」だけでなく、過剰なまでに解釈のためのコードが付与されている。「1883年のクラカタウ山の大噴火と津波災害を題材に」「畏れや祈り」「人間本来の生き方、身体のあり方」……そうした言葉によって、パフォーマンスの多くの部分は理解できてしまうだろう。CINRA.NET編集部の記事によれば、メンバーの一人セノ・ジョコ・スヨノは以下のように語ったという。

ナンダンは大きな災害に遭遇したときに、人々の身体が災害に対してどのように向き合い、乗り越えていけるのかを作品としました。竹で組まれた三角形の舞台装置は火山でもあり、下に据えられたプールは海のメタファーでもあります。海と山の間を素早く動き回るアクターは、どのようにしてカオス的な状況を乗り越えられるのかを表現しています。ナンダンは、私たちの公演を通じて日本の観客たちに、『かつて経験した災害を追体験してほしい』『自分たちを見つめなおすきっかけにしてほしい』と語っていました

 引用元の記事のタイトルにある「2つの悲劇」とは、一つは題材にされていると語られている「1883年のクラカタウ山の大噴火と津波災害」、あるいはそれに容易く接続されてしまう「東日本大震災」の両方であり、もう一つはシアタースタジオ・インドネシアの演出、ナンダン・アラデアの急逝であろう。二つの悲劇――それらとはレベルが異なるが、あえてそこに「第三の悲劇」を付け加えたい。それは、事前に書かれた言葉たちによって、パフォーマンスの場における意味創造の相互性が狭められてしまっていることだ。彼らは「他者」として東京に現れ、理解し難い故に刺激的な「異物」として蠢き得たのに、親しみのある理解しやすいイメージを過剰に纏うことによって、決して裏切らない「隣人」になってしまった。そうしたイメージは彼らにとって「他者」であるだろう東京の観客によりよく理解してもらうための解読コードであったのかもしれないが、しかしそれによってこの芝居を誰もが同じように解釈できてしまうとしたら、仮にそこに理想の状態を想定しているとしたら。もし、「海と山の間を素早く動き回るアクターは、どのようにしてカオス的な状況を乗り越えられるのかを表現している」「かつて経験した災害を追体験でき、自分たちを見つめなおすきっかけとなる」といった解釈しか許されないのだとすれば――あまりにもこのパフォーマンスを貶めてしまうことだが、しかしそれが望まれてしまった側面があったことは確かだろう。そこには一方的な伝えたいこと、理想的な予測された理解だけがあって、相互に、新たに作り上げられるものはない。私もそれに従ってこのパフォーマンスを観た。震災後の日本で、かつての災害を題材にしたパフォーマンスを行う意味、都市の中心で、インドネシアの民族的な動きと音、匂いが持つ効果――それらは予定された批評に過ぎない。もちろんそのように観た故に起こる感動もあった。脅威を前に、肉体と祈りの力をもって生き延びる人間の力強さ。都市の中心で繰り広げられる、原始的な生のいとなみの美しさ。それらはおそらく彼らのパフォーマンスが描き出したものの中心的なものであった。それらを見つめ続けることで、予め与えられた意味を越えて新たに創造される意味もあっただろう。いや、それこそが、より高次に望まれた批評であるようにも思う。

 しかし、私は彼らが無言のまま我々に配る匂いの強い粉、そのわけのわからなさを問いたい。その答えはフライヤーにもウェブサイトにもない。そしてそこにこそ、私が「第三の悲劇」と呼ぶものを乗り越える手立てがあるように思う。彼らの差し出したものを、イメージで理解してしまわずに、理解できなかったところから考え始めること。それは「他者」とのコミュニケーションの原理であり、また「カオス的状況」を前にした人間たちに、最も必要となる態度の一つではないだろうか。手渡しで、無言のまま、しかし確かな意志をもって差し出されたあの粉は、親愛の情を込めた贈り物だったのか、連帯を示すものだったのだろうか、占いや魔除けといった呪術的な何かか、はたまたドラッグのメタファー? その強烈な匂いはある者には好ましく、ある者には不快だっただろう。ポジティブな意味が込められているのか、ネガティブな意味が込められているのか、それさえわからない。しかし何にせよ、その意味のわからなさと手元に残った粉の匂いが、既に書かれた言葉を越えて彼らを理解したいという気持ちを刺激し、また彼らが「他者」であることを私に思い出させたことを記しておく。

 池袋西口公園に出現した「異物」、彼らの竹の建造物はもう取り崩されてしまった。「第三の悲劇」――災害や人の死と比すれば小さな「悲劇」だろうが――、狭められた相互性を乗り越える努力を行えるのは、もう芝居を見終えてしまった観客だけだ。それは、理解できなかったというそのことから、改めて彼らを「他者」として発見し直すことから始められる。

 

追記:

 落雅季子氏の『オーバードーズ』評を参照し、「インドネシアのうつくしい民族衣装とは程遠い」、「iPad」や一人だけいた「ぽっちゃり体型の男性」といった、私の言う「インドネシアのイメージ」や「人間の力強さ」といったワードから逸脱するものが確かに散りばめられていたことが思い出された。私は「狭められた相互性」を主にパフォーマンスの側の問題として語ったが、与えられていた言葉、イメージを逸脱する細部を無視していたのは私の方だったのかもしれない。

 

神川 達彦(かみかわ たつひこ)

1992年生、早稲田大学文学部三年で日本現代文学を専攻。

手の中のカタストロフィー

 船の形に組まれた竹の野外劇場は11月の空に高くそびえ、西口公演の中央でことさらに祝祭の匂いと、非日常の気配を放っていた。私と友人はそろってその船に乗りこみ、客席に座った。二人とも、昨年のF/Tアワード受賞作『バラバラな生体のバイオナレーション!〜エマージェンシー』を観ており、今年の演目である『オーバードーズ:サイコ・カタストロフィー』とはいったいどんなものかな、と言い合いながら、受付でもらったカイロをにぎりしめて開演を待った。

 男たちが音もなく、客席の下部から湧くように現れた。組み上げられた竹をよじのぼりはじめた彼らの衣装は、バリ島のケチャを詠唱する人々を思わせるスタイルだったけれど、インドネシアのうつくしい民族衣装とは程遠いし、いったいどこの民族の服だろうと思う。

 インドネシアのジャワ島とスマトラ島の間に位置する火山、クラカタウの大噴火による津波をモチーフにしたという本作は、竹でできた船の中央部に、振り子のようにつり下げられた太い丸太があり、その場所を中心にパフォーマンスが行われる。端に巨大な銅鑼が据えられて、白い服の仙人じみた老人がその横に座っている。パフォーマたちが力をあわせて丸太を揺らし、銅鑼に打ちつけて鳴らす。空気の振動で水面も揺れる。

 見終わって、隣に座っていた友人と「なんだか、可愛らしかったね。」と言い合った。「どこが面白かった?」と聞かれたので、竹を伝ってパフォーマが逆さまに降りて来るときに首飾りが垂れさがって目が隠れちゃってたことかな、と答えた。「チケット買って半裸の人を観るのって、貴族の遊びみたいだね。」と彼女が言って、確かに、竹から竹へ飛び移るパフォーマが舞台の下部に張られた水の中に落ちたときに、サーカスを見るような気持ちで息をのんだことを思い出した。彼女が続けて「もしかして、こっちは笑い取りに行ってるのに何をまじめに見てるんだって思われたかもね。」と言うので、笑いというよりは天然な感じが可愛かったんだよ、と私は言った。「でもさすがに狙ってない?iPadとか。」うん、確かに。

 白い服を着た老人がぶつぶつ呪文のような言葉(恐らくインドネシアの言語だ)を唱えるシーンがあったのだが、そのときに彼は、iPadを見ながら電子書籍のページを繰っていた。そのあと彼はペットボトルの水を飲んで休憩も取っていたし、仙人にしてはやや胡散くさい。パフォーマにも一人ぽっちゃり体型の男性がいて、他の四人が筋肉の筋が腹に浮くほどの痩身であったため、まるでドリフターズのようなおかしみを醸していた。そう思いついたら、銅鑼までもが、盥のように思えてきてしまった。

 昨年の作品は、神に向けて建造物を捧げるような厳かな雰囲気があり、何が行われているのかを観客たちが見守ることそのものに意義深さがあったように思う。インドネシアの衣装に身を包んだパフォーマたちの得体の知れなさと、出来上がった建造物の得体の知れなさが等価であり、観客の興味の焦点をどこにもあわせないような作りであることで、プリミティブな生命力を感じさせる作品になっていた。今年は「自然」と「人間」との関係性を意識して作られており、作品の主要モチーフである「自然の脅威」に対置するように、人間のユーモラスな側面が散りばめられている。それらは彼らのフィジカルの強さに立脚してこそ、「自然」に対抗しうるものとして際立つ。だから、彼らは船の柱である竹を生身で上り下りする必要があったのだ。「自然」に翻弄されながらも、強く立ち直る「人間」を示すために。

 F/T本番を目前にして、本年10月に急逝したナンダン・アラデアの新作を見ることはもう適わない。しかし、過酷な災害の描写の中にどこかユーモアを残していた彼の演出には、どんなときも人間の強さはチャーミングさに宿るというメッセージがこめられている。

 クライマックスでパフォーマたちは、香辛料のもとになる木を丸太の上に置き、竹で砕いて粉にした。きわめて儀式的な、それら謎のふるまいの後、彼らは客席に侵入してきてその得体の知れない香辛料(木屑?)を配って回った。腰をかがめ、パフォーマたちが観客の手のひらに木屑を置く様子は畑に種を蒔くしぐさにも似ている。単に眺める対象だった「非日常」としてのインドネシアのカンパニーによるパフォーマンスが、見えない壁をやぶって手の届く圏内に侵入してきた感覚に驚き、私はおっかなびっくり木屑を受け取った。そのまま彼らは竹の船の下に消えてゆき、物語は終わった。終演後に、もらった香辛料に戸惑いを見せている人もいたが、人々の手の中に残されていたのは、作品を通して異なる文化に生きる人間同士が触れ合ったしるしだと言える。それは、遠い昔の津波の再現を通して過去と現代、そしてインドネシアと池袋西口公園が結ばれたことを表す、小さなカタストロフィー(大変動)の痕跡なのだ。

 

落 雅季子(おち・まきこ)

1983年生まれ、東京育ち。会社員。主な活動にワークショップ有志のレビュー雑誌”SHINPEN”発行、Blog Camp in F/T 2012参加など。藤原ちから氏のパーソナルメディアBricolaQ内の”マンスリー・ブリコメンド”管理人。@

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ツアーパフォーマンス試論

0.はじめに

中野成樹+長島確によるツアーパフォーマンス『四谷雑談集』『四家の怪談』はその巡る先々に基本的には何も用意されていないという点に他の多くのツアーパフォーマンスとの違いがある。中野+長島による明白な仕掛けとして用意されているのはツアーの大まかなコース指定とツアーに出かける前に(あるいは事後的に)読むための書籍、そしてツアーの導入としてのレクチャーでほとんど全てであると言ってよい。書籍にはそれぞれ四谷怪談の元となった「四谷雑談集」と四谷怪談の舞台を現代へと「誤意訳」した「四家の怪談」が収録されている。参加者は集合場所で30分ほどのレクチャーを受けたのち、『四谷雑談集』では各回40名ほどの参加者がガイドを伴った2つあるいは3つのグループに別れ、『四家の怪談』では各自が地図を持って三々五々、ツアーへと出発する。

ここから検討していきたいのは『四谷雑談集』『四谷の怪談』の特異性である。なぜこれら2作品のツアーの途上には何も用意されていないのか。ツアーの途上に中野+長島の意図によるものが(ほとんど)何も用意されていないという事実はそれ自体何を意図したものなのか。『四谷雑談集』『四家の怪談』について考えることを通してツアーパフォーマンスという形式について、そしてリアルとフィクションとの関係について考えていきたい。

 

1.ツアーパフォーマンス試論

ほとんどのツアーパフォーマンスはリアル=現実の風景と何らかのフィクションによって構成されているが、両者の関係にはいくつかのバリエーションを見出すことができる。ここではそれらを仮に「借景型」「衝突型」「視点操作型」「聖地巡礼型」の4つに分類してみることにしよう。

「借景型」のパフォーマンスは現実の風景をパフォーマンスの背景として取り込む。そこで構築されるフィクションは周囲の風景=リアルと調和しているため、リアルとフィクションとの境界は限りなく曖昧であるように感じられる。F/T10の主催プログラムの1つとして、いくつかの廃屋を舞台にある一家の架空の(?)歴史を展開した飴屋法水『わたしのすがた』はこのカテゴリに分類することができる。

「衝突型」は「借景型」と似ているが、構築されるフィクションが周囲の風景と不調和を起こすものであるという一点において決定的に異なっている。昨年度のF/T12におけるPortB『光のないⅡ』では、新橋の街中に原発事故以降の福島の様子を伝える報道写真に写された光景が「再現」されていた。それらは当然、新橋という場所との間に強烈な不調和を起こすことになる。そこでは新橋と福島との間にある距離がリアルとフィクション(構築された再現)との間の軋みとして立ち現れていた。

「視点操作型」は鑑賞者の知覚・認識に何らかの形で働きかける。昨年KAATのKAFE9という企画で「上演」された『Promenade blanche』という作品では、鑑賞者は非常に濃いスモークのかかったバイザーをかけた状態で、つまりは視覚の大半を奪われた状態で街中を歩いた。あるいは、市原幹也+野村政之『LOGBOOK』では、鑑賞者は他者の書いた地図を手に街を歩くことで自らの者とは異なる視点をインストールする。

 そして「聖地巡礼型」。『四谷雑談集』『四谷の怪談』はひとまずこのカテゴリーに入れることができるだろう。「視点操作型」が鑑賞者に新たな認識のモードをインストールするのに対し、「聖地巡礼型」は場所に物語をインストールすることで成立する。現実の風景にフィクションを重ねて見るという意味では「聖地巡礼型」は「借景型」と近似しているが、「借景型」では上演/鑑賞のその場でフィクションの生成が行なわれるのに対し、「聖地巡礼型」ではフィクションは鑑賞に先立って存在している。「聖地巡礼」という言葉は本来の用途から転じて、「何らかのフィクションの舞台となった実在の場所をファンが訪れる行為」を指すものとして使われている(とは言え、宗教もある種のフィクションであると考えるならばこのような言葉の用法は原義通りであるとも言えるのだが)。「聖地巡礼型」という命名はこの用法に基づいたものであり、そこでは「ある固有の場所を舞台とした物語」を踏まえてその場所を見るということが行なわれることになる。鑑賞者は「ある固有の場所=リアル」から生成された「物語=フィクション」を再び現実に照射する形で鑑賞に臨むのである。鑑賞者の側に認識のモードが埋め込まれているという点では「視点操作型」の一種と言うこともできるが、両者には大きな違いがある。「視点操作型」が鑑賞者に普段とは異なる知覚、新たな視点を提供するのに対し、「聖地巡礼型」は現実の中にフィクションを再帰的に見出すという鑑賞態度が基本となるからである。

もちろん、ここで展開した4つの分類は厳密なものではなく、1つのツアーパフォーマンスの中にいくつかの要素が混在しているような場合もあるだろう。だがこのように整理していくことで、ツアーパフォーマンスを上演/検討する際のいくつかの軸が見えてきたように思う。フィクションは【事前】に用意されているのか【鑑賞中】に生起するのか。【場所】の上にフィクションを構築するのか【観客】の側に構築するのか。フィクションと現実は調和しているのか不調和を起こしているのか。最後の項目は現実がフィクションに【同化】しているのかそれともフィクションが現実を【異化】しているのかと言い換えることもできる。そしてそれはパフォーマンスがフィクションに焦点をあてるものなのか現実に焦点をあてるものなのかという違いでもある。

以上3つの軸に基づいて先ほどの4つの分類を整理し直すと以下のようになる。「借景型」は【鑑賞中】に【場所】と【同化】したフィクションを生成する。「衝突型」は【鑑賞中】に【場所】に作用し現実を【異化】する。「視点操作型」は【鑑賞中】に【観客】に作用し現実を【異化】する。「聖地巡礼型」は【事前】に【場所】と【同化】したフィクションを用意する。表にまとめればこうだ。 

借景型  :鑑賞中/場所/同化

衝突型  :鑑賞中/場所/異化

視点操作型:鑑賞中/観客/異化

聖地巡礼型:事前 /場所/同化

この分類では単純に考えて2×2×2=8通りの組み合わせがあるようにも思われるが、中には実現が困難であるような組み合わせもある。たとえば【事前】に現実を【異化】することは(あるいはそのような認識のモードを鑑賞者に用意することは)おそらく不可能だろう。また、【場所/観客】の軸は実際的には切り分けることが難しい場合も多い。すでに述べたように「聖地巡礼型」は【場所】に物語をインストール(付与)しているとも、ある場所を物語の舞台として認識するようなものの見方を【観客】にインストールしているとも見なすことができるだろう。ここでは、鑑賞者のそのような認識のモードがその場所に固有の、その場所でしか起動しないものであることから、便宜上【場所】に分類しているに過ぎない。

 

2.『四谷雑談集』『四家の怪談』

さて、整理の過程で『四谷雑談集』『四家の怪談』をひとまずは「聖地巡礼型」に分類したものの、実のところ「聖地巡礼型」のツアーパフォーマンスというのはほとんど存在していない(と思われる)。おそらくその原因は「聖地巡礼型」の構造にある。ある固有の場所を舞台に展開されたフィクションを現実のその場所に再帰的に見出すという「聖地巡礼型」の構造の中では、それを体験する中で鑑賞者が新たに得られるものは乏しいのだ。景勝地に行って「写真と同じだ」という感慨を抱く観光客を思い浮かべるとわかりやすい。それは記憶の反芻であり、自分の中にすでにあるものを確認しにいく行為でしかない。わざわざそれをツアーパフォーマンスの形にする意味を見出すことは難しいと言わざるを得ないだろう。

ではなぜ『四谷雑談集』『四谷の怪談』はツアーパフォーマンスの形式として「聖地巡礼型」を選んだのか。問いの検討に入る前に、『四谷雑談集』と『四家の怪談』についてもう少し補足しておきたい。『四谷雑談集』と『四家の怪談』はともに「聖地巡礼型」のツアーパフォーマンスであり、中野+長島による直接的な介入が最小限に抑えられているという点も共通しているが、少なくとも2つの点で決定的に異なっている。1つはツアーの形式。冒頭で述べたように『四谷雑談集』はガイド付きの集団ツアーであるのに対し、『四家の怪談』は地図こそ手渡されるものの、そこから先はほとんど何の制約もない完全な個人行動である。もう1つの違いは「物語」の時代設定にある。江戸時代を舞台とした「四谷雑談集」と現代を舞台とした「四家の怪談」。おそらくここで指摘した2つの違いは互いに密接に関連しており、そこにこのパフォーマンスが「聖地巡礼型」であることの意味を読み解く鍵がある。

『四谷雑談集』はなぜガイド付きのツアーなのか。それは「四谷雑談集」の舞台が江戸時代であり、当時の街並みと現在の街並みとが大幅に異なっているため、ガイドなしでは物語の痕跡を辿るツアーを成立させることが難しいからである。ではなぜ地図ではなくガイドなのか。地図の有無は鑑賞者がツアーの道筋や目的地をあらかじめ知ることができるか否かという違いを生む。目的地やチェックポイントの記された地図を片手にツアーに出た場合、鑑賞者の興味は訪れた先にあるものに集中するだろう。結果として、辿る道筋に対する注意は幾分なりとも散漫なものになる。一方、地図を持たない鑑賞者は自らの注意を集中させる特定の対象を持たず、ゆえに周囲への注意の度合いは一様なものとなる。目的地も辿る道筋も知らされずにツアーに出る鑑賞者の注意は宙吊りの状態に置かれるのだ。通常のツアーでは見るべきポイントを解説するために=注意を誘導するためにガイドが存在するのだが、『四谷雑談集』においてはそのような意味でのガイドはほとんど機能していない。もちろん、いくつかのポイントではガイドによる解説がなされるものの、その解説はほとんどどうでもいいような内容であり、鑑賞者の興味をそれほど強く引くわけではない。グループごとに異なるガイドによる異なるコース、異なる解説が用意されていることも、ガイドによる解説の内容それ自体はさして重要な(固有の)意味を持たないことを示唆している。さらに言えば、「四谷雑談集」とは無関係なスポットについての解説も多く、そこには現実の街並みを「四谷雑談集」と結びつける意図は(それほど強くは)ないことが伺える。つまり、『四谷雑談集』は「四谷雑談集」を基にしたツアーパフォーマンスの体裁を採っていながら、その実、「四谷雑談集」という物語を現実の風景と重ね合わせることは必ずしも意図されていないのである。

では地図の用意された『四家の怪談』はどうか。「四家の怪談」は現代を舞台とした物語であるため、地図さえあれば物語の舞台を辿ることは容易である。用意された地図には「四家の怪談」の舞台となるいくつかの場所が記されている。ところが、その場所に行ったところでそこに特別な何かがあるわけではない。鑑賞者が目にするのは完全な日常の風景である。そこに「四家の怪談」の物語を重ねてみたところで、それは強力なフィクションを立ち上げる装置とはなりづらい。現代を舞台とする「四家の怪談」の物語はそもそも鑑賞者の現実と地続きであり、両者の境界は曖昧なものだからである。「聖地巡礼」を行なう者がそこにフィクションを見出すことが出来るのは、実のところその場所に強度の思い入れ(信仰心やファン心理)があるからなのだ。事前に書籍を入手することは可能であるとは言え「四家の怪談」にそのような思い入れを持って臨む鑑賞者はそれほど多くはないだろう。しかも、地図にはたしかにいくつかのスポットが記されているものの、「四家の怪談」の舞台は当然のことながらその地図の全域に及ぶものであり、地図上で特に説明の付されていない場所に「四家の怪談」の物語を見出すこともそれほど難しくはない。地図上に記されたスポットは特権的な意味を担うものではないのである。「四家の怪談」では言及のないいくつかの場所に関する説明が地図に書き込まれていることからもそのことは明らかである。『四家の怪談』においてもまた、鑑賞者の注意を特定のポイントに集中させることは意図されていない。「四家の怪談」というフィクションは現実の街並みを歩く鑑賞者に付かず離れずの距離で寄り添い続ける。

ここまでの検討から明らかになったように、『四谷雑談集』においても『四谷の怪談』においても、鑑賞者がフィクションに焦点を当てることは必ずしも意図されていない。いや、フィクションに限らず、特定の対象に鑑賞者の注意が集中することはこのツアーパフォーマンスの意図するところではないのである。中野+長島によって用意された「仕掛け」はどれも、鑑賞者が素通りすることも出来てしまう程度の「引き」しか持たないように作られている。*1結果として鑑賞者は、ツアーパフォーマンスに参加しているにも関わらず注意を向けるべき特定の対象を持たない状態で過ごすことになる。この「宙吊りの時間」、無目的な街歩きこそが、『四谷雑談集』『四家の怪談』で意図されたものではなかったか。*2ツアーパフォーマンスに参加している時点で鑑賞者には普段以上の注意を発揮する準備が整っている。感度が高まっていると言ってもよい。にも関わらず、ツアーパフォーマンスの中には注意を向けるべき特定の対象が存在せず、鑑賞者はごく日常的な風景を見続けることになるのである。

PortB『光のないⅡ』では、被災地の再現と新橋の街並みとの強烈な齟齬が、新橋の街並みという現実に対する鑑賞者の視線を否応無く更新してしまった。現実を異化するということはそういうことである。それに対し、中野+長島の企てはおそらく更新される以前の視線に向けられている。現実に新たな視線を向けるのではなく、ニュートラルな(自然体の)視線のままに「街」と向き合うこと。特定の建物や出来事に注意を集中するのではなく、漠然とした街というものと意識的に向き合う機会は日常生活の中ではほとんどない。更新される以前の視線というものは実のところほとんど存在していないのである。中野+長島はそのような更新される前の、可能な限りニュートラルな視線を街へと呼び込もうとしていたのではないか。その意味では、「四谷雑談集」と「四家の怪談」という物語は街歩きのために用意された契機、仮の目的でしかないのである。

自然体で街を見ることが出来たとき、そこは無数の物語へと開かれている。「四谷雑談集」と「四家の怪談」は街に寄り添う無数の物語のうちの2つに過ぎないのである。そもそも、実話を元にした「四谷雑談集」とそのバリエーションとしての「四家の怪談」という今回のモチーフは初めから物語の複数性を示唆していたし、『四谷雑談集』のガイドも、「四谷雑談集」とはまた異なる物語への端緒をいくつも差し出していた。地図上に記された「四家の怪談」とは無関係な場所には、また別の物語があるだろう。2つのツアーパフォーマンスは、物語を再帰的に現実の中に見出しフィクションを反復強化するのではなく、現実の中に自生する無数の物語をこそ掬い上げる視線を獲得するための試みとしてあったのである。 

だが言うまでもなく、このような試みが効果を上げることは難しい。街歩きに日頃から親しみ、街にニュートラルな視線を向ける習慣のある人間にとってはいつもと変わらないという意味で物足りなく、逆にそのような習慣のない人間が今回の仕掛けで街への視線を獲得出来るかと考えるとそれも疑わしい。そもそもニュートラルな視線は獲得させられるようなものではないのだからそれも当然である。あるいは、2つのツアーパフォーマンスは結果としてそのような「ニュートラルな視線」を「獲得すること」の困難さを暴き出してしまったのかもしれない。強い物語は人を惹きつけるが、その代償として無数にある弱い物語を覆い隠してしまう。『四谷雑談集』と『四家の怪談』は強い単一の物語に対し、あくまで自然体のままにささやかな抗いを示そうとしていた。

 

山崎 健太(やまざき けんた)

演劇研究・批評。本企画を主催。早稲田大学大学院文学研究科表象・メディア論コース博士課程。映画美学校批評家養成ギブス1期修了生。批評同人誌ペネトラ同人。劇評サイト・ワンダーランド、BlogCamp in F/T 2012、KYOTO EXPERIMENT 2013 フリンジ企画使えるプログラム支援系Aなどに参加し劇評を執筆。劇団サンプルの発行する雑誌サンプルvol.1に「変態する演劇 −サンプル論−」を寄稿。@

■ワンダーランド寄稿一覧 http://www.wonderlands.jp/archives/category/ya/yamazaki-kenta/

■ブログ pop_life http://yamakenta.hatenablog.com

 

*1:実際には、ツアーの道中には明示された仕掛け以外にも、鑑賞者がそれとは気づかないような形で(気づけばそれはそれで楽しめる程度のスタンスで)、いくつかの仕掛けが用意されていたものと推測される。たとえばご当地アイドルの歌を流す真っ黄色の宣伝カーなどがそれだ。

*2:「宙吊りの時間」については藤原ちからによる東京デスロック『モラトリアム』評も参考のこと。

メンバー紹介

Performing Arts Critics 2013に参加するメンバーの紹介をしていきます。

随時更新予定。

リンクから今回の企画以前に各メンバーの書いたものが読めます。

昨年度のBlog Camp in F/Tはこちら。

 

朝比奈 竜生(あさひな りゅうせい)

1988年生まれ。神奈川県横浜市出身、東京大学文学部歴史文化学科。

現在、平田オリザが主催する演劇学校の無隣館と、

東京文化発信プロジェクトのつくりかた研究所に所属。

 

伊藤 元晴(いとう もとはる)

1990生まれ、京都府京都市在住。大学生。象牙の空港(http://ivoryterminal.bufsiz.jp/)主宰。

http://pac.hatenablog.jp/entry/2013/11/09/140208

 

今泉 友来(いまいずみ ゆき)

1984年生まれ、神奈川県横浜市出身。都内在住の会社員。「アートアクセスあだち音まち千住の縁」ボランティアチーム「ヤッチャイ隊」所属、千住ヤッチャイ大学実行委員。2012年Blog Camp in F/T参加、2013年「したまち演劇祭in台東」応援部に参加。@

 

落 雅季子(おち まきこ)

1983年生まれ、東京育ち。会社員。主な活動にワークショップ有志のレビュー雑誌”SHINPEN”発行、Blog Camp in F/T 2012参加など。藤原ちから氏のパーソナルメディアBricolaQ内の”マンスリー・ブリコメンド”管理人。@ 

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神川 達彦(かみかわ たつひこ)

1992年生、早稲田大学文学部三年で日本現代文学を専攻。 

 

斉島明(さいとう あきら)

1985年生まれ。東京都三多摩出身、東京都新宿区在住。出版社勤務。PortB『完全避難マニュアル 東京版』から演劇を観はじめました。東京のことに興味があります。@

■ワンダーランド寄稿 http://www.wonderlands.jp/archives/category/sa/saito-akira/

■ブログ fuzzy dialogue http://d.hatena.ne.jp/fuzzkey/

■高山明氏(PortB)インタビュー:ドキュメンタリーカルチャーマガジン「neoneo」02に掲載

 

杉本 央実(すぎもと おみ)

1990年生まれ、埼玉県出身在住。現在立教大学現代心理学研究科映像身体学専攻博士課程前期1年。学部時代より太田省吾の研究を行う。@

 

關 智子(せき ともこ)

早稲田大学大学院文学研究科演劇映像学コース博士課程在籍。専門は西洋演劇(現代イギリス演劇、20世紀末-21世紀の戯曲)研究。国際演劇評論家協会(AICT)会員。第17回シアターアーツ賞佳作受賞(「部外者であるということーハビマ劇場『ヴェニスの商人』劇評ー」)。

■ワンダーランド寄稿一覧 http://www.wonderlands.jp/archives/category/sa/seki-tomoko/

 

徳永綸(とくなが りん)

1992年生まれ。町田在住。横浜国立大学教育人間科学部人間文化課程3年。

昨年度のブログキャンプに参加。2013年前期KAATインターン生。

 

生江裕美子(なまえ ゆみこ)

1990年生。東京都在住。現在早稲田大学大学院文学研究科 表象・メディア論コース修士一年。

http://pac.hatenablog.jp/entry/2013/11/01/000000

 

廣澤 梓(ひろさわ あずさ)

1985年生まれ。山口県下関市出身、神奈川県横浜市在住。2008年より百貨店勤務で皿売り。2010年秋よりTwitter上で「イチゲキ」をスタート。2012年秋には「Blog Camp in F/T」に参加。2013年1月よりワンダーランド編集部に参加。@

■ワンダーランド http://www.wonderlands.jp/archives/category/ha/hirosawa-azusa/

 

宮崎 敦史(みやざき あつし)

1985年三重県生まれ。慶応義塾大学大学院政策メディア研究科修了。建築設計業務に携わる一方、自然環境と建築デザインの関係を模索する研究会を共同主宰して冊子の制作等を行っている。

 

山崎 健太(やまざき けんた)

1983年生まれ。演劇研究・批評。本企画を主催。早稲田大学大学院文学研究科表象・メディア論コース博士課程。映画美学校批評家養成ギブス1期修了生。批評同人誌ペネトラ同人。劇評サイト・ワンダーランド、BlogCamp in F/T 2012、KYOTO EXPERIMENT 2013 フリンジ企画使えるプログラム支援系Aなどに参加し劇評を執筆。劇団サンプルの発行する雑誌サンプルvol.1に「変態する演劇 −サンプル論−」を寄稿。@

■ワンダーランド寄稿一覧 http://www.wonderlands.jp/archives/category/ya/yamazaki-kenta/

■ブログ pop_life http://yamakenta.hatenablog.com

 

和田 真文(わだ まふみ)

1986年生。多摩美術大学大学院 美術研究科 博士前期課程 芸術学専攻修了。修士論文名は『ぶれと調和の共生にみる前田征紀論』。最近の仕事に「Welcome to the jungle 熱々!東南アジアの現代美術」展(横浜美術館)カタログ編集補助、『美術手帖』2013年10月号 マームとジプシー『cocoon』インタビュー記事など。

http://pac.hatenablog.jp/entry/2013/11/09/140356

Performing Arts Critics始動

みなさまはじめまして。

Performing Arts Critics、略称pacは若手の書き手によるレビューブログを中心とした活動です。

昨年度のBlogCamp in F/Tに参加していた何人かのメンバーを中心に、若手の書き手の活動と交流の場として企画されました。

2013年の11月から12月にかけて、F/Tに限らず舞台芸術全般を対象に(あるいは美術展なども含めて?)レビューを掲載していく予定です。

本家のBlogCamp in F/Tも今年も開催されていますが、こちらも合わせてお楽しみいただければと思います。

 

メンバーの紹介などはまた追って。

 

これからよろしくお願いします。

 

山崎

マームとジプシー『cocoon』

いくら想像を逞しくしても追いつきようのない出来事に近づこうとするとき、演劇はどのような手だてをとることができるのか。マームとジプシーによる新作劇「cocoon」は、この問いを反芻させる。

 

原作は、第二次世界大戦末期、沖縄で「ひめゆり学徒隊」に従事した少女たちに着想を得た今日マチ子によるマンガだ。物語の主眼は戦争の悲惨さにはなく、作中に「ひめゆり」の文字も登場しない。舞台は現代の少女が夢でみた光景として展開されていくが、そこに広がるのは、サン(青柳いづみ)を中心に、音楽の授業で一人歌わずふて腐れる子がいたり、憧れの先輩にじゃれついたりといったありふれた学校生活である。その様子を俯瞰するように、彼女たちの姿形や性格についての口述が角度を変え位置を変え、矢継ぎ早に繰り出されていく。登場人物にまつわるこれらの描写は、作・演出を担当する藤田貴大が「リフレイン」と呼ぶ手法を用い、波打ち際を思わせる動作や今日の描くイラストと共に舞台の隅々で終盤まで執拗に再現される。

 

当初は友人を紹介する語りであった口述は、時を経るにつれ一人ひとりを看取る記憶の再現へと変化する。どんな人物が傍らにいたのか、少女たちの口から語られる記憶のボリュームには差がある。日々を共に過ごした間柄であっても、目にしていたはずの姿形も朧げな少女がいることもあらわになっていく。

 

原作においては、「戦争」という背景から想像される暗澹としたイメージを裏切るように、モノクロの細い線で淡々と描くスタンスが取られる。一方舞台では、サンのその後の行動を決定付ける出来事に至り、舞台に設置されたスクリーンは今日のイラストからビデオカメラ映像へと切り替わる。ガマで看護していた兵士によって主人公サンが被る決定的な痛みについてのこの描写は、日常の延長線上に起きた出来事として扱われる。原作者である今日、作・演出の藤田ともに、偶然その時代に生まれたひとりの少女としてのあり方に着目しようとした結果が舞台に反映されている。その後の捕虜収容所での主人公の言動に「普通さ」を潜ませた原作と比較するとこの効果は弱いものの、少女たちの歌声や衣装、スクリーンにうつるイラストなどが、物語の普遍性を保つ役割を担っている。

 

ともすれば陰惨な場面や砂の上をひたすら走り抜く姿、客席に響く轟音に身体ごと浸ったまま幕が下りるところ、パフスリーブや細いリボンのついた白の衣服を纏った少女の口から東京の言葉遣いで絞り出される声が今現在との境を危うくし、そうした陶酔を拒む。ラストシーンで「これは2013年である」と語られるとき、サンを守っていた繭(cocoon)が破れ少女の夢は姿を消す。沖縄と東京、68年前と現在・・・本作は、距離を歪ませるかのような振る舞いと想像力によって手の届かない出来事に手を伸ばそうとするものである。

 

マルセロ・エヴェリン/デモリションInc.『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』

 演劇にしろダンスにしろ、一方的に「見る」体験であることのほうがずっと多いのだが、そんな中でマルセロ・エヴェリン「そしてどこもかしこも黒山の人だかりとなる」は「見る」と同時に「見られ」もする奇妙な体験となった。

 会場は真っ暗なブラックボックス、天井からつり下げられた蛍光灯、蛍光灯に囲まれたこの狭いスペースが客席であり、舞台でもある。そこには、例えば一人に一つ与えられた椅子のようなもの、客席と呼べるようなものは一つも見当たらない。部屋に入ったときからぺたぺたとどこからともなく聞こえていた音の正体は、お互いの手をつないだままうろうろと踊り回るダンサーたちの足音のようだ。背格好もばらばらの、日本人とラテン・アメリカのダンサーの混合と思われる彼らの一糸纏わぬ裸体はどれも真っ黒に塗られている。最初のうちは遊ぶように、ひとかたまりになって動き回る彼ら。しばらくすると、また別の動作を始める。例えば、立ち止まってお互いの体を愛撫するように内側によせあったり、床に寝転んで暗黒舞踏のようにのたうち回ったり、スペース内に散らばって各々別の動きをはじめ、観客を演者ほうから凝視しはじめたりといった具合に。やがてダンサーたちが、お互いに走り込んでぶつかりあいながら、猿の縄張り争いのような激しい抗争をはじめると、演目は緊張とともにクライマックスをむかえる。争いが一通り激しくなったあと、スペースの外にいた一人のダンサーが彗星のように争いの中心に衝突する。そこで彼らの激しい体の動きは一瞬で静止し、全員がその場に倒れ込む。パフォーマーの全員が横たわってしばしの静寂が訪れたあと、いくつものダンサーたちの死屍累々の中から、一人、また一人と立ち上がると、彼らはまたそれぞれに再びゆっくりとした動きを取り戻す。そして、一人ずつ、その蛍光灯に囲まれたスペースから去り、誰もいなくなったところでパフォーマンスは終演する。

 見終わってから、観客である私を取り巻く環境が、演目の間中、ずっと変化し続けていたという感覚を覚えた。例えば、演目の最初では塊になって踊る彼らをじっと見つめていた私も、動きが静まると彼らの顔や裸身の一部を細かく覗き込むようになり、あるいはこちらにぶつかってくる彼らをよけてみたり、向こうから投げかける視点にこちらの視点を合わせたり、反対に視線をわざとそらしたり、またはダンサーたちの背後で、他の観客はどのようにダンサーを見ているかを観察といったことを自然としていた。観客とダンサー、又は観客と他の観客の関係は、上演中、絶えず変化し続けたのだ。終演後、私は不思議と心地よい開放的な気分に包まれていた。この気分の変化の原因はなんであったのだろうか。

 パンフレットに「作品タイトルは…エリアス・カネッティの著作『群衆と権力』(1969)の一節から」とある。該当箇所は「開いた群衆と閉じた群衆」という項目に見つかる。群衆、つまり自然発生する人だかりについての分析からはじまる本書、この項目では自然発生的に周囲をとりこんで拡大していく「開いた群衆」、その集団の規模の拡大は必ず崩壊につながること、その突然の崩壊を免れるために集団の内外に生じる境界を明確にすることで、できるだけ自分たちの存続をより確実にしようとする「閉じた群衆」を論じている。

 演目の序盤、内側を向いて踊るダンサーたちは、それだけで一つの群衆であった。一方で、別々にダンサーたちを観察しようとスペース内を動きまわる観客も、それがお互いにぶつかりそうになることを避けながら歩き回ることが特徴付けるように、ダンサーたちとは別に、一人一人、個別の存在として行動するものであった。私たちが慣れ親しんだ劇場—そこでは舞台と客席とがはっきりと分かれ、一人の人間に一つの客席が与えられている—の空間はもともと、観客が演目の最初から最後まで一人一人が個別の存在であり続けること、客席が舞台上から一方的にパフォーマンスを享受し続けることを許してくれていた。しかし、エヴェリンは、まず会場のなかから客席の椅子を排除し、客席と客席との境界も、舞台と客席との境界も取払って、観客とパフォーマーを同じ一つの空間に投げ込んだ。スペースはその内側になんの「境界」も持たない。エヴェリンが創りだした空間の中で、私たちは見知らぬものとの接触への不快感を必要以上に覚えていることを発見する。それは、自分たちがいかに個別に閉じた存在であったかということの再発見でもある。完全に一人一人の存在として孤立し続けることができなくなった私たち、観客は、他の観客やダンサーたちとの関係のほうへと開放させられていく。「開いた群衆」であるダンサーたちのなかに取り込まれていくのだ。

 エヴェリンは、この演目を使って「閉じた群衆」を「開いた群衆」へと、緻密な計算の元に大変巧妙に取り込んだ。私が終演後に感じた心地よい開放感は「閉じた群衆(あるいは個人)」が「開いた群衆」にとりこまれる感覚であったようだ。ここで、この演目が言葉を一切使わないものであったことを今一度強調したい。言葉を用いなかったために、観客とパフォーマーが一体化する喜び、ほとんどの舞台芸術に含まれるようなこのシンプルな要求が、純粋に感覚的に近い状態で、それゆえの繊細さとショックをともなって結実したことをふまえて、やはりこの体験は希有なものであったことを強調したい。 

 

参考文献:「群衆と権力(上)」1971 著者:エリアス・カネッティ、訳者:岩田行一、発行:法政大学出版局