Perfoming Arts Critics 2013

若手の書き手によるレビューブログです。2013年11月から12月に上演される舞台芸術作品についての批評を中心に掲載していきます。

注目のゆくえ

 いちどきに与えることができる注目の総量は、とても限られている。例えば舞台上でスポット照明が落とされるのは観客の限りある注目をそこへ集めるためだし、また例えば観客が同じ上演に何度も足を運ぶ理由のひとつは、前回見逃した対象にあらためて注目してその上演を観るためだ。

 『四谷雑談集』では数ある四谷怪談のうち、もっとも古いと言われる同名小説に従って新宿区四谷の町を歩く。集合地点で中野成樹と長島確の話を三十分ほど聞いてから、観客は10人弱のグループに分けられる。中野、長島らがガイドとして、観光ツアーのように旗を持ってそれぞれグループを先導する。

 ツアーはまず、お岩が走り抜けたという四谷御門の跡を過ぎて(東海道四谷怪談のお岩は命を落として化けて出るが、四谷雑談集では門を出て失踪したそのまま、最後までゆくえが知れない)、今は中央線が走る外堀跡を内から外へ渡る。ときおり足を止めて、人物や建物に観客の注目を集めての解説がガイドによりなされる。

 『四谷雑談集』のガイドはそのように注目を引き受けておいて、けれど観客を四谷雑談集の物語へ引きこみはしない。むしろガイドが観客に提示するのは、その周囲に散らばる物語である。例えば Google Mapsストリートビューに写っていない、幽霊のような二葉亭四迷の旧居跡や、服部半蔵の墓、鬼平犯科帳ゆかりの寺。観客がガイドに注目し、ガイドに従って歩いていくほど四谷雑談集に、あるいは四谷に、接してはいるものの四谷雑談集そのものではない物語が呼び起こされる。

 そのような近傍の物語の存在は、他にも各所で示される。本公演と対になる『四家の怪談』はもちろん、当日パンフレットや公演のために作られた書籍「四谷雑談集」では忠臣蔵や東海道四谷怪談の名が出るし、同じ F/T13主催プログラムである木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』も挙げられる。

 また『四家の怪談』をはじめ、対のモチーフも多くツアー中に紹介される。「鉄砲坂」と「稲荷坂」、「戒行寺坂」と「油揚坂」など、複数の名を持つ坂が四谷にはいくつもある。須賀神社には男坂と女坂があり、その崖下に抱かれた寺は軒下にまた小さな社を抱えていて、しかも西巣鴨に同じ名の寺があるという。お岩を祭ったお岩稲荷も通り向かいにふたつあって、うち一方の本殿で不意に、見上げてみたら神社幕の左右へ、陰陽の印が描かれているのを見つけたときにはくらくらした。

 ところで呼び起こされる近傍の物語を提示するのに、ガイドという形式は一見そぐわないように思える。観客をガイドするというのはその注目を一所ずつに集めようとする行為に他ならず、ために観客の注目を、一所ごと、四谷雑談集にその場所で接している物語だけへ絞らせてしまうからだ(もちろん観客は注目を絞らず、よそ見していることもできるのだが)。だからガイドが指し示すものにだけ注目して町の姿を見ていくと、観客はかえって四谷雑談集を見失うかもしれない。ガイドされるもの自体には四谷雑談集はおそらくほとんど宿らない。それでもガイドという形式が有効に作用するのはその対となる、ガイドされないものごと=ガイドの外側に四谷雑談集が宿り得る、呼び起こされ得るからである。

 だとしたら、だから、重要なのは、ガイドによって解説されるポイントとポイントのあいだを歩く、間隙の時間である。限りある注目をどのように四谷の町に対して与えるのか、あるいは、ガイドによって示された近傍の物語を意識したまま、また四谷雑談集を呼び起こされたまま、どのように四谷の町に注目するのか。

 観客は、ガイドされて近傍の物語を示される状態と、その間隙で四谷雑談集と町とに注目し得る状態とをいったりきたりする事になる。ツアーを進行し、観客の注目を集める/散らすガイドが、それらをスイッチをする役割を担っている。

 注目の総量は限られているし、タイミングはさらに限られている。走り去る女や見なれないアイドルのアドトラック(演出として仕込まれていたらしい)を筆者は見逃している。町内図が重ねて捨てられていたり、建設中の教会のなかで談笑しながら作業が行われていたりという、自分で勝手に見たもののほうに注目を割いていたのだ。

 町内図が捨てられた様子は、集合地点で中野・長島のトークに参加した大谷能生が「道ばたのガードレールは古びて見えるけれど、せいぜい三十年前には新品だった。その期間を十回くり返せば四谷雑談集が書かれた三百年前に届くと思うと、そんなに遠くない」という意味のことを話したのを具現化したようだった。教会については、これは勝手な想像だが、四谷雑談集が書かれたころの宮大工も、同じように喋りながら神社を建てたのかもしれない。

 筆者が注目した対象が、そして注目したことによる想像が、作り手によって意図されたものだったかどうかはわからない。まったく見当違いのものを見ていたかもしれない。けれどその体験はほかの近傍の物語と同じように、確かに四谷雑談集の近くにあったのだ。そうして後から知人の体験を聞いて、自分のそれとは異なる注目を知ることもまた、その近傍にあるのかもしれない。

 

斉島明(さいとう あきら)

1985年生まれ。東京都三多摩出身、東京都新宿区在住。出版社勤務。PortB『完全避難マニュアル 東京版』から演劇を観はじめました。東京のことに興味があります。@

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■高山明氏(PortB)インタビュー:ドキュメンタリーカルチャーマガジン「neoneo」02に掲載