Perfoming Arts Critics 2013

若手の書き手によるレビューブログです。2013年11月から12月に上演される舞台芸術作品についての批評を中心に掲載していきます。

手の中のカタストロフィー

 船の形に組まれた竹の野外劇場は11月の空に高くそびえ、西口公演の中央でことさらに祝祭の匂いと、非日常の気配を放っていた。私と友人はそろってその船に乗りこみ、客席に座った。二人とも、昨年のF/Tアワード受賞作『バラバラな生体のバイオナレーション!〜エマージェンシー』を観ており、今年の演目である『オーバードーズ:サイコ・カタストロフィー』とはいったいどんなものかな、と言い合いながら、受付でもらったカイロをにぎりしめて開演を待った。

 男たちが音もなく、客席の下部から湧くように現れた。組み上げられた竹をよじのぼりはじめた彼らの衣装は、バリ島のケチャを詠唱する人々を思わせるスタイルだったけれど、インドネシアのうつくしい民族衣装とは程遠いし、いったいどこの民族の服だろうと思う。

 インドネシアのジャワ島とスマトラ島の間に位置する火山、クラカタウの大噴火による津波をモチーフにしたという本作は、竹でできた船の中央部に、振り子のようにつり下げられた太い丸太があり、その場所を中心にパフォーマンスが行われる。端に巨大な銅鑼が据えられて、白い服の仙人じみた老人がその横に座っている。パフォーマたちが力をあわせて丸太を揺らし、銅鑼に打ちつけて鳴らす。空気の振動で水面も揺れる。

 見終わって、隣に座っていた友人と「なんだか、可愛らしかったね。」と言い合った。「どこが面白かった?」と聞かれたので、竹を伝ってパフォーマが逆さまに降りて来るときに首飾りが垂れさがって目が隠れちゃってたことかな、と答えた。「チケット買って半裸の人を観るのって、貴族の遊びみたいだね。」と彼女が言って、確かに、竹から竹へ飛び移るパフォーマが舞台の下部に張られた水の中に落ちたときに、サーカスを見るような気持ちで息をのんだことを思い出した。彼女が続けて「もしかして、こっちは笑い取りに行ってるのに何をまじめに見てるんだって思われたかもね。」と言うので、笑いというよりは天然な感じが可愛かったんだよ、と私は言った。「でもさすがに狙ってない?iPadとか。」うん、確かに。

 白い服を着た老人がぶつぶつ呪文のような言葉(恐らくインドネシアの言語だ)を唱えるシーンがあったのだが、そのときに彼は、iPadを見ながら電子書籍のページを繰っていた。そのあと彼はペットボトルの水を飲んで休憩も取っていたし、仙人にしてはやや胡散くさい。パフォーマにも一人ぽっちゃり体型の男性がいて、他の四人が筋肉の筋が腹に浮くほどの痩身であったため、まるでドリフターズのようなおかしみを醸していた。そう思いついたら、銅鑼までもが、盥のように思えてきてしまった。

 昨年の作品は、神に向けて建造物を捧げるような厳かな雰囲気があり、何が行われているのかを観客たちが見守ることそのものに意義深さがあったように思う。インドネシアの衣装に身を包んだパフォーマたちの得体の知れなさと、出来上がった建造物の得体の知れなさが等価であり、観客の興味の焦点をどこにもあわせないような作りであることで、プリミティブな生命力を感じさせる作品になっていた。今年は「自然」と「人間」との関係性を意識して作られており、作品の主要モチーフである「自然の脅威」に対置するように、人間のユーモラスな側面が散りばめられている。それらは彼らのフィジカルの強さに立脚してこそ、「自然」に対抗しうるものとして際立つ。だから、彼らは船の柱である竹を生身で上り下りする必要があったのだ。「自然」に翻弄されながらも、強く立ち直る「人間」を示すために。

 F/T本番を目前にして、本年10月に急逝したナンダン・アラデアの新作を見ることはもう適わない。しかし、過酷な災害の描写の中にどこかユーモアを残していた彼の演出には、どんなときも人間の強さはチャーミングさに宿るというメッセージがこめられている。

 クライマックスでパフォーマたちは、香辛料のもとになる木を丸太の上に置き、竹で砕いて粉にした。きわめて儀式的な、それら謎のふるまいの後、彼らは客席に侵入してきてその得体の知れない香辛料(木屑?)を配って回った。腰をかがめ、パフォーマたちが観客の手のひらに木屑を置く様子は畑に種を蒔くしぐさにも似ている。単に眺める対象だった「非日常」としてのインドネシアのカンパニーによるパフォーマンスが、見えない壁をやぶって手の届く圏内に侵入してきた感覚に驚き、私はおっかなびっくり木屑を受け取った。そのまま彼らは竹の船の下に消えてゆき、物語は終わった。終演後に、もらった香辛料に戸惑いを見せている人もいたが、人々の手の中に残されていたのは、作品を通して異なる文化に生きる人間同士が触れ合ったしるしだと言える。それは、遠い昔の津波の再現を通して過去と現代、そしてインドネシアと池袋西口公園が結ばれたことを表す、小さなカタストロフィー(大変動)の痕跡なのだ。

 

落 雅季子(おち・まきこ)

1983年生まれ、東京育ち。会社員。主な活動にワークショップ有志のレビュー雑誌”SHINPEN”発行、Blog Camp in F/T 2012参加など。藤原ちから氏のパーソナルメディアBricolaQ内の”マンスリー・ブリコメンド”管理人。@

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