Perfoming Arts Critics 2013

若手の書き手によるレビューブログです。2013年11月から12月に上演される舞台芸術作品についての批評を中心に掲載していきます。

「何でもあり」のホスピタリティ −劇団子供鉅人『HELLO HELL!!!』大阪公演

 人が死ぬというのはなんと愉快なことか、と思った。あくまで舞台上の話だ。

 対面式舞台、舞台上には地獄の業火を連想させる赤を基調とした華やかな色合いの段が2段。上段には悪魔や鬼の仮装をしたミュージシャンが並ぶ。舞台前面に並んだ豆電球、そのひとつひとつには髑髏を模したシェードが取り付けられ、キャバレーや見世物小屋の舞台を想起させる。10月の終わりと11月の頭をまたぐ時期に行われた大阪公演は、どの装飾もハロウィンに合わせてこの舞台が作られたことを連想させる。

 舞台は死後の世界、地獄。そこに住む人々は何度死んでも、風が吹けば生き返る。死ぬことで金銭を稼ぐアルバイトまで存在する。「ヘル」という単位の貨幣によって成立する地獄の社会は、現実のそれよりも過酷な格差社会として描かれ、風刺的だ。物語は淫蕩の限りを尽くして、女に恨まれて殺された男が地獄に堕ちるところからはじまり、その男をとりまく地獄で暮らす様々な人々のエピソードを羅列する群像劇として展開する。登場するキャラクターたちは、生前に主人公によって弄ばれた姉妹、彼女たちに殺された主人公の家族、焼死を生業にする土方風の男、死んだことに気づかず地獄を彷徨う新婚カップル、一攫千金を狙うチンピラ集団、鬼、悪魔、天使とどれも個性豊かで、どこかバタ臭い。随所に90年代のホラーを揶揄したファミリー洋画の影響なんかが垣間みられる。

 舞台上の役者たちの容姿がどれも個性豊かで、視覚だけですでに見世物小屋のようだ。内容も少し要素を盛り込みすぎて構成が散らかり、パフォーマンスも力押しで狭ってくる印象も強いが、不思議とそこに窮屈な押し付けがましさはない。客席に迫る方向で作られた演技にも「もてなそう」「受け入れよう」という姿勢が盛り込まれているように感じさせる。多種多様な人たちが舞台上で暴れ回る「なんでもあり」の空間は、どんな人でも受け入れるホスピタリティを源泉に立ち上がると感じた。

 それならば、この演目が受け入れようとした一番大きなものは「生」そのものではないか。それも「死」にまつわるおふざけを用いての試みだ。舞台上で人が何度も、たくさん死ぬということ、そしてそれを可笑しいこととして機能させられることは演劇特有ではないか。本当にそこで人が死ぬという本当にシリアスな事態はまず起こらないであろうことが担保にされているからこそ、それは不謹慎なおふざけとして成り立つのだ。今回の劇では、それが単なるギャグに終始するのではなく、生きることの苦しさを皮肉った風刺になる。何度も死ぬという事態がむしろ生きることの苦しさを強調する。極めつけは、終盤で彼らに向けて歌われる「もう生き返るな」という趣旨のバラードだ。このシーンはとても感動的だった。生きることを苦役として認めた上で、それを受け入れること、さらには、そのような辛い出来事としての生を受け入れようとする人を受け入れたいとするのが作り手の姿勢であると感じた。生きることは辛い、辛さも受け入れよう、辛さに歯を食いしばる人は尚受け入れよう、そのような態度で客席に向かう子供鉅人の演目は実に寛容だ。こんなにも舞台上でたくさんの死が描かれるのに、これはとても懐の深い優しさを終演後に感じることのできる芝居だ。

 

伊藤 元晴(いとう もとはる)

1990生まれ、京都府京都市在住。大学生。象牙の空港(http://ivoryterminal.bufsiz.jp/)主宰。

http://pac.hatenablog.jp/entry/2013/11/09/140208

注目のゆくえ

 いちどきに与えることができる注目の総量は、とても限られている。例えば舞台上でスポット照明が落とされるのは観客の限りある注目をそこへ集めるためだし、また例えば観客が同じ上演に何度も足を運ぶ理由のひとつは、前回見逃した対象にあらためて注目してその上演を観るためだ。

 『四谷雑談集』では数ある四谷怪談のうち、もっとも古いと言われる同名小説に従って新宿区四谷の町を歩く。集合地点で中野成樹と長島確の話を三十分ほど聞いてから、観客は10人弱のグループに分けられる。中野、長島らがガイドとして、観光ツアーのように旗を持ってそれぞれグループを先導する。

 ツアーはまず、お岩が走り抜けたという四谷御門の跡を過ぎて(東海道四谷怪談のお岩は命を落として化けて出るが、四谷雑談集では門を出て失踪したそのまま、最後までゆくえが知れない)、今は中央線が走る外堀跡を内から外へ渡る。ときおり足を止めて、人物や建物に観客の注目を集めての解説がガイドによりなされる。

 『四谷雑談集』のガイドはそのように注目を引き受けておいて、けれど観客を四谷雑談集の物語へ引きこみはしない。むしろガイドが観客に提示するのは、その周囲に散らばる物語である。例えば Google Mapsストリートビューに写っていない、幽霊のような二葉亭四迷の旧居跡や、服部半蔵の墓、鬼平犯科帳ゆかりの寺。観客がガイドに注目し、ガイドに従って歩いていくほど四谷雑談集に、あるいは四谷に、接してはいるものの四谷雑談集そのものではない物語が呼び起こされる。

 そのような近傍の物語の存在は、他にも各所で示される。本公演と対になる『四家の怪談』はもちろん、当日パンフレットや公演のために作られた書籍「四谷雑談集」では忠臣蔵や東海道四谷怪談の名が出るし、同じ F/T13主催プログラムである木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』も挙げられる。

 また『四家の怪談』をはじめ、対のモチーフも多くツアー中に紹介される。「鉄砲坂」と「稲荷坂」、「戒行寺坂」と「油揚坂」など、複数の名を持つ坂が四谷にはいくつもある。須賀神社には男坂と女坂があり、その崖下に抱かれた寺は軒下にまた小さな社を抱えていて、しかも西巣鴨に同じ名の寺があるという。お岩を祭ったお岩稲荷も通り向かいにふたつあって、うち一方の本殿で不意に、見上げてみたら神社幕の左右へ、陰陽の印が描かれているのを見つけたときにはくらくらした。

 ところで呼び起こされる近傍の物語を提示するのに、ガイドという形式は一見そぐわないように思える。観客をガイドするというのはその注目を一所ずつに集めようとする行為に他ならず、ために観客の注目を、一所ごと、四谷雑談集にその場所で接している物語だけへ絞らせてしまうからだ(もちろん観客は注目を絞らず、よそ見していることもできるのだが)。だからガイドが指し示すものにだけ注目して町の姿を見ていくと、観客はかえって四谷雑談集を見失うかもしれない。ガイドされるもの自体には四谷雑談集はおそらくほとんど宿らない。それでもガイドという形式が有効に作用するのはその対となる、ガイドされないものごと=ガイドの外側に四谷雑談集が宿り得る、呼び起こされ得るからである。

 だとしたら、だから、重要なのは、ガイドによって解説されるポイントとポイントのあいだを歩く、間隙の時間である。限りある注目をどのように四谷の町に対して与えるのか、あるいは、ガイドによって示された近傍の物語を意識したまま、また四谷雑談集を呼び起こされたまま、どのように四谷の町に注目するのか。

 観客は、ガイドされて近傍の物語を示される状態と、その間隙で四谷雑談集と町とに注目し得る状態とをいったりきたりする事になる。ツアーを進行し、観客の注目を集める/散らすガイドが、それらをスイッチをする役割を担っている。

 注目の総量は限られているし、タイミングはさらに限られている。走り去る女や見なれないアイドルのアドトラック(演出として仕込まれていたらしい)を筆者は見逃している。町内図が重ねて捨てられていたり、建設中の教会のなかで談笑しながら作業が行われていたりという、自分で勝手に見たもののほうに注目を割いていたのだ。

 町内図が捨てられた様子は、集合地点で中野・長島のトークに参加した大谷能生が「道ばたのガードレールは古びて見えるけれど、せいぜい三十年前には新品だった。その期間を十回くり返せば四谷雑談集が書かれた三百年前に届くと思うと、そんなに遠くない」という意味のことを話したのを具現化したようだった。教会については、これは勝手な想像だが、四谷雑談集が書かれたころの宮大工も、同じように喋りながら神社を建てたのかもしれない。

 筆者が注目した対象が、そして注目したことによる想像が、作り手によって意図されたものだったかどうかはわからない。まったく見当違いのものを見ていたかもしれない。けれどその体験はほかの近傍の物語と同じように、確かに四谷雑談集の近くにあったのだ。そうして後から知人の体験を聞いて、自分のそれとは異なる注目を知ることもまた、その近傍にあるのかもしれない。

 

斉島明(さいとう あきら)

1985年生まれ。東京都三多摩出身、東京都新宿区在住。出版社勤務。PortB『完全避難マニュアル 東京版』から演劇を観はじめました。東京のことに興味があります。@

■ワンダーランド寄稿 http://www.wonderlands.jp/archives/category/sa/saito-akira/

■ブログ fuzzy dialogue http://d.hatena.ne.jp/fuzzkey/

■高山明氏(PortB)インタビュー:ドキュメンタリーカルチャーマガジン「neoneo」02に掲載

あわいに浮かぶ「LOAD」の文字―ラビア・ムルエ『雲に乗って』

男は机の上に2、3あったDVDの束を、ひとつにして高く積み上げ、それらを上から順番に1枚1枚再生していった。再生が終わる頃にはまたケースを開けて、DVDをデッキに挿入し、再生ボタンを押す。右手が不自由らしく、これらは全て左手で行われた。彼は約1時間の上演時間のほとんどを、舞台下手の隅でこの作業に費やした。

この作品に演出家の実の弟であるイエッサ・ムルエが出演するという情報は、事前に得ていた。フェスティバル/トーキョー13の総合パンフレットには、以下の記載がある。「歴史の渦の中で生きるとは――。銃撃の後遺症で虚実の境目を失った男が記憶をたぐり寄せ、語る『半生』」。見世物小屋の口上のようだと思った。

冒頭、舞台上方に吊り下げられたスクリーンに投影された、映像の中のイエッサは、過去が全て静止画としてしか記憶されず、それらが動き出すには、事情を知っている人による語りが必要なのだ、と話す。

また、中盤において、彼は表象が表象として認識できないと言う。故に事故後は劇場に足を運ぶことがなくなった。舞台上で人が死ぬことと、現実で人が死ぬこととの区別がつかないのだそうだ。

そんな彼が医師から治療の一環として勧められたのが、ビデオを撮ることだった。100本近いビデオ作品を作り出し、そのうち20~30ほどが本作に使用されているらしい。

イエッサが手がけたビデオ作品は、確かに彼の過去の断片である。そのことは彼が静止画としてしか保持できないという過去のことを想起させる。キラキラ光る円盤は、デッキに挿入され再生ボタンを押し、回転によって生み出される信号を読み取られることで初めて映像として知覚されるものとなる。他人による助けがなければ動きださない過去は、映像として残すことで、指一本で駆動させられるものとなる。そして、その指は他人のものであってよい。

しかし、再生ボタンを押しても、すぐには映像は再生されない。DVDを再生しようと回転させたものの、そこに映像は流れずに、ただ物理的な運動だけが続く。真っ黒のスクリーンの左上部には「LOAD」の白い文字が浮かびあがる。だが、映像が再生されると、すぐに消える。その時間の長さは一定ではなく、場合によっては全く存在しない。

まるで舞台の暗転のような時間であった。舞台上には照明が灯され、演者がそこにいるにもかかわらず。この作品の大半において、時間の進行は映像が担っていた。だからこそ、映像が進まずに足踏みをしている時間がわたしには強く意識させられた。このとき観客はまだかな、などと思いながらその時間を過ごしたし、同じくそのような退屈でなすすべのない時間として、イエッサもこの時間を経験していたのでは、と想像する。

このロード時間によって、普段は淀みなく流れがあると捉えられている2つのものの間に、実は存在するひっかかりのようなものへの感度があげられた。

先の冒頭の映像は、映像の中の彼がカメラ目線となることで締めくくられるが、そのとき同時に舞台上にいる彼もまた、観客に向かって同じくまなざしを向ける。表象を理解できないというイエッサが、映像中の彼との間に同一性を見いだせないだけでなく、観客もこうして2人を見比べることで、これらが違うということを知る。2人の間に「LOAD」の文字が浮かんだ。

そして、そのような2人の視線に同時にさらされる観客もまた、そのようなあわいを経験することとなる。かつての彼が実際にはカメラのレンズの暗闇に向け投げかける視線を、その隣に立つ人のものと同じく、今自らに向けられたように思う、その感覚にもまた「LOAD」の文字を見出してしまうのだ。

ロード時間の存在が実際にはどの程度、作品において意識されていたものなのか分からない。この時間は作品が進行するにつれ、少なくなっていったように思うが、それは単に空白の時間をなかったことにする習慣がわたしに戻ってしまったからかもしれない。しかし、あのとき皆が集ってぼんやりと宙吊りの時間を経験したことは、確かである。

静止画でしか記憶ができない、数奇な運命を辿った男によって提示された時間の流れ方は、実はそれほど身に覚えのないことではないのかもしれない。『雲に乗って』は我々の過去や記憶、そしてその多く引き受けることになったメディアと、今現在の時間との間に横たわるものについて思いを巡らせる時間となった。

作品のラストシーンでは、イエッサが机を離れて自作の詩を朗読し、次に舞台上手に椅子を設置して、アコースティックギターを抱えて座る。客席を通って舞台に上がった演出家ラビア・ムルエが、弦を押さえる弟に肩を回して弦を弾き、2人は演奏しながら歌う。それまで常にスピーカーからもたらされていた声は、兄の助けをかりて今ここから発せられることで大団円を迎えた。しかし、わたしの頭の片隅で「LOAD」の文字は明滅を続ける。

 

廣澤 梓(ひろさわ あずさ)

1985年生まれ。山口県下関市出身、神奈川県横浜市在住。2008年より百貨店勤務で皿売り。2010年秋よりTwitter上で「イチゲキ」をスタート。2012年秋には「Blog Camp in F/T」に参加。2013年1月よりワンダーランド編集部に参加。@

 

■ワンダーランド http://www.wonderlands.jp/archives/category/ha/hirosawa-azusa/

交差点を具現化した演劇

フェスティバル/トーキョーの会期が始まるより前、『四家の怪談』チケット早期購入者特典として、今回の公演の台本となる小説が郵送されてきた。「東海道四谷怪談」をもとに中野成樹が書き下ろした創作民話だという。

以下、簡単なあらすじである。足立区五反野に住む大学生の岩は、北千住のバイト先で知り合った伊右衛門と半同棲状態になる。が、伊右衛門には前の勤め先で社内結婚をした妻の花がいた。それを知った岩は復讐を企てるものの、実行には移さないまま時が経ち、段々と二人の仲は回復していく。しかし、伊右衛門は花のもとに戻ると岩に別れを告げ、岩もそれを応援する。その後伊右衛門夫婦の間に生まれた子どもたちは偉大な人物となり、その兄妹の誕生日(岩と伊右衛門が別れたのも同じ日)である11月30日は祝日となった。

さて、この『四家の怪談』は、五反野駅近くにある四家の交差点をキーポイントとして北千住・五反野エリアで行われるツアーパフォーマンス作品である。中野成樹、長島確を中心に、写真やデザイン、音楽などさまざまジャンルのアーティストたちによって結成された「つくりかたファンク・バンド」の作による。新宿区四谷エリアで行われる『四谷雑談集』と対になっており、期間中はこの二作品が日替わりで交互に上演される。

公演当日、観客は、中野と長島による30分程度のトークを聞いた後、小説と当日渡される地図を手に各自ツアーを行う。(早期購入者以外の観客は、小説も当日受け取る。)地図には、まちなかで見どころとなるような箇所と、集合場所をスタートしてから四家の交差点にゴールするまでの道順が記されている。「いい感じの高架下」「いい感じの飲み屋街」など、小説のなかには登場しなかったまちなかの風景も見どころのひとつとして示されている。ツアーのオプションとして、中野が即興であらすじを説明する「あらすじライブ」、集合場所から北千住駅まで案内する「最初だけガイド」も用意されていた。

私は、「あらすじライブ」「最初だけガイド」に参加した後、ほぼ地図に記された道順に従って歩いていった。もし、地図を手渡されないままこの小説の舞台となった場所を歩いてみるという企画だったとしたら、私はもっと四家の交差点周辺を歩き回ったのではないかと思う。地図の道順は小説には出てこなかった千住エリアを多く歩きまわるように設定されていたため、それに従っていると物語に寄り添って歩いている気がしなかった。ただ、岩や伊右衛門、花が住むまちのなかで時を過ごしただけだった。しかし、時折、小説のなかに挿絵がわりに差し込まれているひとコマ漫画と似たような風景を見ると、小説と、私が歩いている今とが少し交わるようだった。

生まれてから今まで過ごしてきた時間、それを物語とするならば、私の物語は、家族や友人、同僚や上司といった周囲の人の物語と少しずつ交わりながらできている。そして私と交わっている皆が、また違う場所で別の誰かと交わっていて、そういう個々人の物語の交錯の積み重なりで、社会や歴史は構成されている。同様に、この公演を通じて、岩の物語も、私の物語とほんの少し交錯した。

岩の物語と私の物語が交錯するのは、何もこのツアー中の時間だけには限られない。あと一週間ほどで、岩と伊右衛門が別れのちに祝日となった11月30日になる。その日、きっと私は岩のことを考えるだろう。ツアー中の、まち歩きを楽しみつつたまに岩の物語と交わる状態と、いつもの生活を送りながら11月30日にふと岩のことを思い出す状態と、両者に違いはあまりない。どちらにおいても、岩や伊右衛門は俳優の身体を借りては私の前に現れず、私の空想の中にいたからである。四家の交差点はたしかにゴールとして地図上で示されていた。ツアーとしてはゴールをすればその時点で終了なのだろう。しかしツアー中同様、岩や伊右衛門が私の中にいるということは、上演はまだ続いていてこれからも続いていくということではないだろうか。

最後に、小説の冒頭部分を引用したい。

四家の交差点は六叉路になっている。(中略)どこからでもやってこれて、どこへでも行けるといえば聞こえはいいが、その場所自体を目的とすることはほぼなく、みんなただ勝手に通り過ぎるほんの束の間、信号待ちのわずかな時間だけをいっしょに過ごす、そんな場所だ。

「東海道四谷怪談」の元とされる「雑談集」が書かれた1727年頃からこの『四家の怪談』までさまざまに語り継がれてきた岩の物語。それとひとときだけ交錯する観客の物語。

『四家の怪談』は交差点を具現化した演劇だったのだ。

 

今泉 友来(いまいずみ ゆき)

1984年生まれ、神奈川県横浜市出身。都内在住の会社員。「アートアクセスあだち音まち千住の縁」ボランティアチーム「ヤッチャイ隊」所属、千住ヤッチャイ大学実行委員。2012年Blog Camp in F/T参加、2013年「したまち演劇祭in台東」応援部に参加。@

わっしょいハウス『必要と十分』のススメ

今週末の予定を決めかねているあなたにわっしょいハウスの公演『必要と十分』を全力でオススメしよう。

7月に見た『猫隠しまっすぐ』は衝撃的な面白さだった。

 印象としてはチェルフィッチュ×五反田団、あるいは小説で言えば柴崎友香×森見登美彦。とぼけた語り口が時間も空間も軽々飛び越える、とびきりキュートな芝居である。

わっしょいハウス 2011-2012まとめ wasshoi-house 2011-2012 - YouTube

過去のことを語っているうちにその話の登場人物になってしまったり、語りを聞いている人間がその過去の出来事に介入してしまったり(!)してしまうわっしょいハウスの語りは、『三月の5日間』の頃のチェルフィッチュの手法をさらに押し進めたものだと言えるだろう。

そんな語りが現実の枠を緩め、日常から少しだけズレた奇妙なエピソードが顔を覗かせる。

今と過去、現実とウソがくるくるとまざり合うおかしなホラ話を堪能あれ。

 

わっしょいハウス『必要と十分』

11月22日(金)〜27日(水)@新宿眼科画廊 スペースO

チケット予約はこちら

22日(金) 19:30開演

23日(土) 14:00開演/18:00開演

24日(日) 14:00開演/18:00開演

25日(月) 19:30開演 ※終演後、九龍ジョーによるアフタートーク

26日(火) 19:30開演

27日(水) 14:00開演

 


わっしょいハウス『おばけが出現』 - YouTube

観客は観劇を体験することができない

 ツアーパフォーマンス、もとい、ツアー。中野成樹と長島確により制作された『四谷雑談集』そして『四家の怪談』は、『四谷怪談』を題材に、都内のとあるエリアを散策することをメインとしている。このツアーにはそれぞれお供となる「台本」が一冊ずつ用意されている。片方は『四谷怪談』の原作であるらしい「四谷雑談集」のあらすじ、そして川瀬一絵による現在の四谷エリアの写真が掲載されたもの。そしてもう一方は、かつしかけいたによるひとコマ漫画を共に掲載した、中野自身により書き下ろされた創作民話「四家の怪談」。一番古い『四谷怪談』と、2013年につくられた最新の『四谷怪談』を片手に、散策が楽しめるというわけだ。

 四谷エリアのツアーである『四谷雑談集』では、まず中野と長島によるツアーの説明、そして簡単な散策の楽しみ方についてのレクチャーまでもがされる。その後、私が参加した回では、中野チーム(重要なポイント以外は道を適当に進む)、長島チーム(おすすめコースを進むらしい)に分かれ、彼らをガイドとして、一緒に四谷ウォークを始める。強調されるのは「パフォーマンスはない」ということ。ただし、各回によりまちまちであるようだが、中野により侍、看護婦、白塗りの学生という三者のコスプレをした人物が仕込まれており、道中で出会うことになる(主な業務はカイロ配りのようであり、特に深い意味は無いらしい)。そしてお岩さんゆかりの田宮神社付近にてツアー終了。お参りを済ませ、近くの公園にて周辺地図を受け取り、帰路へ。計一時間半程度のツアーであった。

 対して北千住エリアで行われた『四家の怪談』。受付で北千住付近の地図を受け取る。そしてこちらもトークからの始まり。地図を持ってとにかく自由に鑑賞してほしいといった旨の説明。トーク終了後に『四家の怪談』のあらすじを7分でワードに打ち込み説明するという突如とした「あらすじライブ」という企画が行われるが、それは任意参加でいいとのこと。ほとんどの観客はあらすじライブが終わったのち北千住の街へと繰り出したようだ。『四谷雑談集』と大きく違うのは、観客が自由に歩き回れること。五反野への電車移動もあり、2時間半程度のツアーとなった。

 少し文字とスペースを割いて概要を書いてみたが、「これは演劇なのか?」という疑問は少なからずわくだろう。いくら演劇である/なしの問いが陳腐なものだとしても。「街はよくみてみるだけで楽しい」「雑談集や新たな四家の怪談と街角を照らし合わせると面白い」……まあ、うなずける。加えて、長島自身がトークにおいて、こういう楽しみ方もありますよね、と数々のツアー体験方法の提案をする。確かに。そう見ることで得られる楽しみもありそうだ。その提案さえも乗り越えて独自の楽しみ方をする観客も現れるのだろう。ああ、確かに写真でたくさんの記録を残したりするのも楽しいかもしれない。または、こんなツアーがあったと、体験を自身の装飾的に人に話して聞かせるのも、楽しいかもしれない。しかし、「これは演劇なのか?」という疑問とともに、この「ゆるさ」に対する反感、もしくはなんだこれどうでもいい、との感情を引き出す可能性があることは想像に難くない。ただ、中野と長島は、そのような観客にさえ、あーそれは本当にすみませんでした、と笑顔で答えてしまうような気がしてならない(あくまでも印象上の想像である)。もしかすると彼らにとって観客の反応は、「物語」をつくる実験結果の一つでしかないのかもしれないからだ。

 軽妙なトークや、あらすじライブやコスプレ役者など、思いつきのような仕掛けの数々――この全体的にちりばめえられた「ゆるさ」は、もはや頑固なほどまでにツアーを通し守られている。『四谷怪談』への緻密な調査があったであろうにも係わらず、だ。そのゆるい態度は観客の感情、そして行動の幅を広げる。観客に求められるのは地域住人に対する配慮ぐらいのもので、ゆるさに乗じて勝手にぶらぶらしたって、提案された楽しみ方にのっとってめぐったって、怒って帰ったって誰にもとがめられない。「何をやっても物語に回収されてしまう」、そして「観客はさまざまな『物語』に紐づけて作品を観る」とは、ツアー当日配布されるパンフレットに掲載されていたインタビューにおける中野の言葉だ。その言葉通り、観客は勝手に自分の感情と「台本」をミックスし展開していく。なんにせよ、北千住、五反野、四谷、3つの地域において、「台本」を片手に『四谷怪談』にそれぞれの想いをはせる人々が集う、そんな特殊環境がここには立ち上がっている。そしてその場所を横断し、つなげるかのようにツアーテーマソングである「あおぞらdestiny」を流す宣伝トラックが走る。

『四谷怪談』をめぐるツアー、「台本」、観客、そして街は、またいくつもの「物語」を生み出す培養地として機能していると言っていいだろう。つまり、この作品は『四家の怪談』よりもまた新しい『四谷怪談』生成の儀式に他ならない。街は「舞台」ではなく、「物語」を生み出すための「場所」としてしか扱われていない。言ってしまえばこの作品は上演されてなど「いない」のだ。いわずもがな、上演されていない演目を、観客は観劇することはできない。ツアーの存在や観客個人個人の体験が、今後どのように影響していくのかが見ものなのである。「こんなツアーがあったんだよ」と人に伝えられるのだろうか。または、なにやら人々がぞろぞろと歩いているのを目撃した住人が、「変なツアーみた」とツイートするのだろうか。またはまさにこの文章のように、誰かの体験記として文章として残るのだろうか。このツアーは一体、数年後どのような語られ方をしているのだろうか。このツアーに参加した以上、何をしたところで『四谷怪談』という大きな流れ(物語)に知らず知らずに取り込まれてしまっていると言える。方法は違えど、これまで海外戯曲を「誤意訳」して上演してきた中野の作品にただよう、壊されない(または壊すことのできない)物語の存在感に通ずるものが感じられる。

まかれた「物語」の種はどう育っていくのか。この作品が成功したのかどうかなどとは、2013年現在判別することはできない。いつかどこかで『四谷怪談』が語られる際に、ちらっとでもこのツアーの話がでたのならば、すばらしい作品だったとはじめていうことができるのではないだろうか。

 

ツアー参加日

『四家の怪談』 2013年11月10日11:00~の回

『四谷雑談集』 2013年11月14日11:00~の回 中野チーム

 

徳永綸(とくながりん)

1992年生まれ。町田在住。横浜国立大学教育人間科学部人間文化課程3年。

昨年度のブログキャンプに参加。2013年前期KAATインターン生。

物語を通して表象された、舞台としての「東京」

『四家の怪談』は演出家の中野成樹が現代版四谷怪談として書いた小説を手に、舞台となった北千住、五反野を探索する作品である。上演は「トーク」と「ウォーク」から構成される。指定された集合場所に着くと『四家の怪談』の物語が書かれた冊子と、舞台となった北千住、五反野の地図が手渡される。「トーク」では中野とドラマトゥルクの長島確による作品についての解説があり、休憩を挟んだ後、7分間で物語のあらすじをタイピングする「あらすじライブ」が行われる。

次に観客は地図を片手に、各々のペースで町を歩きはじめる。「ウォーク」の始まりである。この作品はアナウンスが非常に少ない。故に作品は物語と町から与えられる体験、想像に委ねられる部分が多くなる。地図を眺めると番号が振られているので、多くの観客は一先ず順番に歩くことになる。番号に従って歩き続けると、やがて高さ10m程の荒川の堤防にたどり着く。堤防に登り、振り返って見てみるとこの町の地形が平坦であることに気付く。平坦な地形が舞台となっていることが、起伏の激しい地形で生まれた『四谷雑談集』との違いを示していると感じた。

地形と四谷怪談に関して言及している文献として、中沢新一の「アースダイバー」がある。中沢は湿った土地(下町)に住んでいた鶴屋南北が、乾いた土地(山の手)に住んでいた岩の物語を湿った土地の想像力を用いて書いたと指摘する。四谷は非常に坂の多い土地であり、山の手と下町が入り組んだ場所でもあった。一方、北千住、荒川は明治時代に整備された場所である。元々千住は日光への第一宿場町として栄えた町であって、江戸の中心ではなかった。故に、千住には亡霊の様に付きまとう江戸の名残が殆ど存在しない。それでは鶴屋南北が住んでいる場所の想像力を得て書いた過去の物語を、当時存在しなかった町で描くとは何を意味するのか。

舞台となった町を歩いてみると、駅には見慣れた百貨店があり、駅周辺には高層マンションが建ち並び、路面部には見慣れたチェーン店がひしめき合う、何処にでもある風景が拡がっていた。一方、北千住が下町である事を示している場所も確かに存在した。最初に手渡された地図には「いい感じの〇〇」と示されたエリアが書き記されていたが、「いい感じ」が指し示す意味は必ずしも物語に関係して来る場所ではなく、どことなく「味のある、ノスタルジックな」印象を与える場所であった。いい感じの商店街や飲屋街は朽ちそうな雰囲気を持ち、時間の重みを感じる事が出来る。いい感じの高架下は増設されたであろう部分で素材が切り替わっており、時間の手触りが見て取れる。しかしそのような場所はごく一部にしか存在しなかった。故に中沢の文脈で言うと、足立区は下町なので湿った土地であるはずなのだが、とても「怪談」の舞台になる様な場所とは思えなかった。それでは作家の育った土地が作品に影響すると仮定するならば、今回の作品では土地の想像力は作品にどのように反映されているのだろうか。

この小説が原典と大きく異なるのは、岩が伊右衛門を許す点だろう。岩は最後に祝となったが、ここで言う祝は「呪わない」というだけであって、相手を祝福している訳ではない。「東京はかゆいところに手の届く場所であり、かゆみがどんどん増える場所でもある。そこに暮らす人たちは、かゆみをどう治すかとともに、いかにかゆみを生み出さないようにするかについても考えなくてはならない。」という小説の一節がある。物語の中でかゆみが拡がる瞬間は、秋山が岩に対する告げ口なので、ここで言う「かゆみ」は「情報」と置き換える事が出来る。東京は情報の流動が激しい。荒川の土手に登った時に見える高速道路を走るトラックの数が、それを示している様に思う。この流動性が生む過剰さが私達の感覚を麻痺させる。つまり、中野は東京的想像力を持って物語を描き、結果として現代の東京を表象しているのではないか。『四家の怪談』は麻痺を起こした為に岩が感情を元に戻す、ある種の諦めにも似た許しをした事で、逆に現代の東京を舞台として観た時に、潜在的に存在する怖さを示していた。

都市は膨大な情報で溢れており、住んでいる者はとてもじゃないがその全てを受けきれない。しかし、物語を読んだ後にその舞台となった場所を訪れると情報が精査されてテクストから得ていたイメージと風景の中に見過ごしていたリアルな場所が繋がり、シーンとして立ち現れる。今回のツアーパフォーマンスは、遠い関係の通行人に岩と伊右衛門の面影を写した時、東京という都市が舞台として立ち現れ、演劇の様なものが生まれる瞬間を至って繊細に描き出していた。

 

宮崎 敦史(みやざき あつし)

1985年三重県生まれ。慶応義塾大学大学院政策メディア研究科修了。建築設計業務に携わる一方、自然環境と建築デザインの関係を模索する研究会を共同主宰して冊子の制作等を行っている。